11月にはいった。日の出町のアナグマ達は、そろそろ冬眠に入るころである。
農工大の学生だったころ、10月中旬の捕獲調査が終わると、11月からはアナグマ達としばしのお別れになるのでいつもさびしかった記憶がある。翌年の3月からアナグマ達は再び活動開始になるので、スマートになり、しばし歩かなかったので足裏がふにゃふにゃのアナグマ達と、喜びの再会。研究を行っていると、人によってそれぞれ、好きなフィールドワークのタイプが分かれるけれど、私はダントツに捕獲調査が好きだった(今もそう)。罠をかけるときの、(よーし、今日はこの手でいくかなあー)と、罠のところへ来る動物が予想通りにいくかどうかを考えながら作業するのは楽しいし、翌朝に見回りに行ってかかっている時の嬉しさ、その後、計測などの作業では直接動物を見て、触れる。何よりも最後の、作業が終わり麻酔から覚めた動物を山に再び放す時の安堵感。アナグマはほとんどの場合、山に戻るときになかなか罠から出ていかない(興奮してしまっているためと、足が遅いので用心深くなりすぎてしまい、)ので、大抵は、匂いの届かない風下の少し離れた木の陰などに隠れて、出ていくところを見守ることになる。興奮して唸っていたアナグマが、だんだんと落ち着きを取り戻していき、唸り声がやみ、突然、罠の扉が空いていることにハッと気づき、何事もなかったかのようにトコトコと歩いて罠から出て、けものみちを歩いていく様子は、調査しているもののみが知っているアナグマの姿だ。
朝の罠の見回りから、計測作業が終わってアナグマを山に戻すまでは丸1日がかり、夜の9時や10時すぎにアナグマを山に送りだす。そして、研究の作業はむしろそれからだ。発信機をつけたアナグマの発信が、無事に聞こえているか確認するために、車にアンテナを立てて受信機をオンにし、夜の山を走ってみる。放した日は、アナグマが近くの巣穴にもぐりこんでしまうのか、うまく入らないことがあるが、そういう時は真っ青だ。(発信機が壊れていたのか?)(首輪装着がゆるくて脱げたんじゃないか?)(さっそく他のアナグマに首輪のアンテナをかじられたか?)さまざまな憶測がよぎる。
幸運にも、農工大の学生時代から20年以上が経った今も、日の出町のアナグマの捕獲調査を続けることができていて、時々「まさかこの年になって、ここで全く同じ位置に罠かけてるとは、あの頃は思わなかったなあ」と苦笑いしたりもするが、あいかわらず、捕獲調査は楽しくて仕方ない。学生時代に標識したアナグマはもう全部、世代交代していなくなったけれど、日の出にはあいかわらず、アナグマなど中型食肉目は豊富に生息している。私の方もやっと最近、日の出町のアナグマ家族の社会についての論文を、DNA分析も入れてまとめあげた。こっちのほうも20年がかり。哺乳類調査というのは時間がかかる。哺乳類の生態でちゃんとしたデータセットを作るにはフィールドワーク8年、とよく言われ、その通りだと私も思う。最近の研究の論文業績のペースの速さからすると、研究開始して7年間論文が出ないとすれば、かなり苦しい。しかし、哺乳類調査のいいところは、8年が終わった時に、確固たるフィールドワークに基づいたデータセットができあがると、そこから10本以上の論文を産出することができるということだ。初期の不毛な状態はここで一気にチャラになるし、考えようによっては、もしそれで研究生活を終えても、哺乳類調査でまとまった一つのことをやり遂げた、と言えるだろう。何よりも嬉しいことは、真剣に5-6年以上フィールドワークを続けると、動物と調査地に関する感性があがり、信じられないくらい調査がうまくいくようになる。私も、博士学生時代の最後の方は、研究上必要なアナグマの個体や、ほかの動物を、自由に捕まえることができた。だから、ちゃんとしたデータが揃うまで、細かいことは気にせずにフィールドワークに没頭し、感性のすべてを動物と調査地に注ぎ込むとよいと思う。
アナグマ計測作業(日の出町)。麻酔のかかっている、およそ1時間以内に、体部位の計測、発信機つけ、寄生虫検査、病気検査のための採血、DNAサンプリングなどすべてをおわらせるため、それぞれの担当は必死である。
農工大の修士学生だった頃。こういう、まだ麻酔のかかっているアナグマと記念写真を撮れるくらいだと、作業に慣れて余裕が出てきているということだ。大量捕獲した日は、次のアナグマが待っているので、作業がうまくいっても忙しいから、実際はこのような写真は数えるほどしかない。